信濃比叡廣拯院とは
弘仁8年(817年)、天台宗開祖最澄上人が東山道最大の難所といわれていた神坂峠を越える旅人の苦難をみかねて、無料の宿泊所である信濃比叡廣拯院(しなのひえいこうじょういん)を建てたのが始まりです。このことから比叡山と大変縁の深い地であり、信濃比叡の呼称が全国で唯一許されています。
また、信濃比叡の本堂(根本中堂)建立に合わせて、比叡山延暦寺に最澄の時代から1200年ものあいだ燃え続けている「不滅の法灯」が分灯されました。本堂の中に入ると間近で参拝することができます。座禅や写経などの修行体験もあります。
信濃比叡廣拯院
参道
駐車場から参道に入ります。辺り一面の木々が落葉していて、冬の訪れを感じますね。途中で猿に遭遇しましたが、近づいたら逃げられ、遠くから睨まれ・・・基本的には触れない方が良いかと思います。それくらい自然が豊かなんですよね。
千体地蔵には圧倒されます。
石段を上ると目の前に現れる伝教大師最澄上人ご尊像。
1996年に伝教大師遺跡地復興のため建立されました。こちらは延暦寺特別許可のもと、比叡山峯道に建つ大師像と同じ鋳型が使用されています。また、足元には16体の羅漢像が並んでいます。
山門の前に構える伝教大師最澄上人ご尊像
山門
2016年に伝教大師東国巡錫1200年(廣拯院開山1200年)の節目に、山門が建立されました。地元の方による建築で、どっしり構えています。
境内
本堂の右手前にある六地蔵尊。
六地蔵菩薩とは、輪廻転生(全生命は六種の世界に生まれ変わりを繰り返す)に基づき、六道をさまよう衆生の苦しみを救うとされています。右側のお地蔵様から、地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人道・天道の順に並んでいます。
本堂の右側にある蛇紋岩。
大辯才天宇賀神将の使者である白蛇が宿る岩です。紙垂の下辺りから白く浮き出た部分がありますが、これが白蛇です。
本堂の左手前にある仏足石。
仏足石とは、お釈迦様(ブッタ)の足跡を石に刻んだものです。ここの地下には断層が通っていて、境内の中で特に気が集まる場所のようです。
本堂(根本中堂)
本堂の中では、僧侶の方が親切に声を掛けてくれ、歴史や参拝方法など丁寧に教えてくれました。その後で、比叡山延暦寺から分灯された不滅の法灯を線香に灯して参拝をしました。
※参拝時間:10:00~16:30(水曜日は閉堂)
信濃比叡廣拯院の本堂
上を見上げると、美しい花々が印象的な天井絵があります。美術大学生が描いたようですが、鮮やかに彩られていいですね。
色鮮やかな花々が美しい天井絵
護摩堂(月見堂)
本堂の左奥にある遊歩道を歩いて5分で到着です。
月見堂は、伝教大師(最澄)が建てた廣拯院の遺跡地ともいわれています。本来は薬師如来が祀られている薬師堂ですが、かつて文人などがここで中秋の名月を賞したことから月見堂と呼ばれるようになりました。
現在は、不動明王を本尊に、護摩堂と称しています。
駐車場
飯田山本I.C.から国道を走って、昼神温泉を越えた辺りで左手の県道89号に入ります。しばらく進み、園原I.C.を通過した先の交差点を右折します。園原I.C.からは、県道477号へ左折、次の交差点を右折します。
道なりにしばらく進むと、右手に”信濃比叡”の石碑と”信濃比叡参道入口”の看板があるところが駐車場となります。ここから先、護摩堂(月見堂)手前にも駐車場がありますが、目的地からは若干遠くなりますので、最初に紹介した場所がおすすめです。
補足情報・アクセス
住所 長野県下伊那郡阿智村智里
アクセス 車 飯田山本I.C.より25分
園原I.C.より5分
※東京方面からは園原で降車不可
駐車場 あり
料金 なし